長野県上田市のヨガインストラクターHIROKI

長野県でヨガのインストラクター、ダンサー、トレーナーとして活動しているHIROKIです。ヨガのポーズと解剖学、ヨガの哲学と近代哲学、感覚的なヨガの知識と、論理的に説明のできる知識を照らし合わせて、ヨガの疑問を紐解いていきます。少しでも生活の質向上に役立てれば嬉しいです。

ダルマな生き方とは志を持つこと

今日は松本で朝ヨガの日、月に1度か2度ほど、外でやってます。
スローなペースでやっていくヨガで、難しいポーズをするわけでもなく、音楽をかけたり、アロマを炊いたりするわけでもないけど、風の音と虫の音、草の匂いっていう環境が気持ちいいです。
普段のスタジオでは人工的な環境を整えていますが、手の込んでない感じが逆にいい時もありますよね。

 

 

こんにちは、長野県でヨガインストラクター、ダンサー、トレーナーとして活動しているHIROKIです。

 

 

さて、この前ヨガ哲学の記事を書きました。

習いたての、ヨガ哲学ってなんのこと?っていうお話。

https://uedayogahiroki.hatenablog.com/entry/2018/08/24/025717

 

 

その中で生き方のレベルについて書いているんですが、「お金・モノなどに価値を感じるアルタな生き方」「承認・賞賛に価値を感じるカーマな生き方」「他者の幸せ・大義に価値を感じるダルマな生き方」「何も求めない、生きてるだけで幸せなモークシャな生き方」の4つのレベルがあります。

 

 

上に行くにつれて幸せ度が高いから、ヨガをして生き方のレベルを上げましょうっていうのがヨガ哲学の根本です。

 

 

一般的に一番多いのがおそらくアルタ・カーマの状態、あるいは行き来している状態だと思います。

モークシャな人は相当レアですが、ダルマな人も結構レアです。

このダルマな状態になって行動し続けた人が時に歴史に名を残したんじゃないかと思います。

こういう人は「志」を持って生きていたと思います。

 

 

ずいぶん前になりますが、僕が新潟に住んでいたとき、知り合いの勧めであるセミナーに行きました。「覚悟の磨き方」という本の著者である池田貴将さんのセミナーです。

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コーチングで世界的に有名なアンソニーロビンズさんのトレーニングを修了した人で、色々面白い話も多かったんですが、特に印象に残ってるのがこの「志」の話。

 

 

あなたは「夢」と「志」の違いをどう定義しますか?

 

 

僕はこの池田さんの話を聞いてから、そのまま納得したんですが、「夢」は自分が生きているうちに達成したいこと、「志」は自分が途中で死んでしまっても、いずれは達成したいこと。

 

 

例えば陸上をやってたとしたら、オリンピックで金メダルを取る!は「夢」であって、陸上をプロスポーツとして世界に浸透させたい!とかは「志」になり得ると思います。

 

 

大まかなイメージとしては、

「夢」=「生きてるうちに叶えたい」+「自分の為に」=「カーマ」

「志」=「例え途中で死んだとしても成し遂げたい」+「(自分を含めた)他者の為に」=「ダルマ」

だと思います。

もちろん、人の為という想いが強い「夢」もあるし、「志」と言えど自分が生きてるうちに達成できるに越したことないと思いますが。

 

 

そして「志」を生きてるうちに達成した人は、何も要らなくなってモークシャになるんじゃないでしょうか?

 

 

食べ物がない、お金がないという状況であれば、まず生きなければいけない。貧しい想いや悔しい想いがあれば、高級な物を手に入れることで満たすことが必要かもしれない。必然的にアルタな生き方になる。

生まれながらに食に困っていれば、お腹いっぱい食べることに執着を、食に困っていなくても周りの家よりも貧乏だと感じていればお金に執着をする。

戦後は食への執着、高度成長期はお金への執着が強いと聞きます。

 

 

一定水準の生活力が足りていれば、生存には困らない。心を満たしたいと感じる。他者から認められたい、感謝されたいというような欲求が出てくる。足りている食事をもっと貰っても嬉しくないし、お金も一定のレベルまでくれば嬉しさは薄らいでくる。お金の個人差はあれど、満足レベルまでいけば必然的にカーマな生き方になる。生まれながらに食にも、お金にも困ってなければ、承認欲求が一番強くなる。

平成生まれは食よりお金より精神的充実、自己重要感に執着が強いと聞きます。

 

 

承認欲求が満たされる。個人的な「夢」がなった場合、あるいはそのプロセスで満足した時、本当の意味で人のためにという想いが生まれる。「志」にシフトする。というか「夢」から「志」へのシフトができなければむしろ虚無感から不幸になるかもしれない。

オリンピックで金メダルを取ったとして、「自分は成し遂げた、けど世の中では困っている人がいる。自分の力で何かを変えたい」みたいな考えになれば次のステージです。

あるいはまた次の「夢」に進むか。

 

 

そして大きな「志」を抱いた人が、生きてるうちに達成した場合、「もう自分のできる事はやりきった。あとは生きてるだけで幸せだ」となればモークシャかもしれないし、また次の「志」へ向かえばまた新しくダルマな生き方が始まるんだと思います。

 

 

飛び級できるのかもしれないけど、基本的には富を得て、名声を得て、貢献の後、平穏になる。

的な感じでしょうか。

 

 

なんか、モークシャを目指して生きるというより、目の前のステージを最大限に生きれば、自動的に上がって行くと思うんで、物欲強いなら全力で満たせばいいんじゃないでしょうか。

 

 

満たしていけば最初よりは欲が薄れるでしょうし、次のステージの刺激が欲しくなるはず。

 

 

そうなりたいかも人それぞれですが、せっかくなら「志」を持って生きたいと思いますんで、目の前のステージを全力で生きます。

 

 

HIROKI    

 

日頃、一般の方向けに理想の見た目や機能を持った体づくりを指導しつつ、その知識を使って自らのトレーニングをしています。

このブログではヨガを実践する方向けに、体の仕組みに基づいた技術向上の方法、ヨガの哲学に関して、論理的に分析して理解を深めるという内容を発信していきます。

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