悪口は悪いのか?
ここ最近格闘していましたが、パソコンがついに使えるようになりました。
いろいろ情報をくれた方々ありがとうございます!
さて、昨日は会社がお休みだったんですが、整体行って、美容室行って、練習して、物件探して、練習して、飲みに行ってと、なかなか盛りだくさんでした。
それぞれお世話になっている方々と話せてよかったです。
皆さん会社に属さず自分で仕事をしているので、自立した考えを持っていて話すと面白いです。
自分の店や会社だと、クレームとか、ディスとかはストレートに自分に来ますから大変なことも多いでしょうね。僕もヨガスタジオやヨガインストラクターのスクールを後々は作っていく予定なので矢面に立つ時が来るでしょうw
というか、インストラクターのような人前に立つ仕事をしてると直接的・間接的にディスられることはありますけどねw
施設の設備やサービスについてのクレームは会社に行くかもしれませんが、僕が提供しているプログラムに関しては僕に直接入ってきます。
もちろん参考になることは多くあるので、聞けるのはありがたいことですが、時には「ただの悪口やん」というものもありますw
まぁ、それで楽しんでくれてるならいいかもしれないけどw
ところで、「悪口」や「陰口」は悪いことだって昔から教わったかと思うんですが、果たして本当に悪いことでしょうか?
ヨガ的な観点で言えばパッと思いつくのはアヒムサー(傷つけない)に反しそうですよね。当事者同士で考えれば言われた方は言葉で傷つけられることになりそうだし、悪口をいうと自分の脳も悪口を言われた時の反応を示すらしいので自分も傷つけます。
まさに相打ち
だから基本的には悪い事とされていますし、あまり異論も無いんですが、悪口、特に陰口が元々はとても重要なものだったという説があります。
前にも紹介した「サピエンス全史」の本からの引用ですが、
言語というものができたころ、実はお猿さんの中にも言語のように鳴き声を分けて使う種類がいまして、それとおそらく同じレベルでした。
「ライオンがいるぞー」とか、
「飯あるよー」
とかですね。
ただ、「あの川の向こうの森に入って3つ目の大きな木を左に曲がると岩があるから、そこを右に曲がって歩いて行くとリンゴの木があるよ」っていう鳴き声なかったんだと思います。
サピエンスはそういう表現ができるようになってだいぶ繁栄したとされますが、それだけ細かい表現をさらに発展させたのがなんと「噂話」だそうです。
「あいつ狩りで獲ってきた獲物をみんなに分ける前にナイショで食ってたよ」とか、「あの人いい人そうだけど家族には暴力振るうよ」とか、そういう噂話を元に信用できない人を見極めていたみたいですね。
集団の存続や繁栄ためにはそうやって陰口が役立ったようですので、今の時代でも噂話や陰口は絶えないわけです。
そう考えると、悪口とか陰口って尊いかもしれません。
集団に貢献してますからね。
悪口ばっかり言ってる人っていますが、人の悪いところを早く見つけられて言語化できて発信力がある人ですよね。
そう考えると悪口を言う人って能力が高いのかもしれません。
逆にいうと、多分良いところも見つけるの上手だと思いますw
まぁ色々言いましたが、もちろん「悪口は良い事だ」とまでは思ってませんw
ただ、
学校で習った。
ヨガの教えにある。
みんなそう言ってる。
そういう状況にあると思考停止しやすいと思うんですよね。
大抵の事は時と場合によって善悪が逆転します。
ヨガ哲学は幸せ生きるための攻略法ですが、それに委ねすぎて自分で考える事をやめてしまったら結構危険です。
時代は変わっていて、ヨガ哲学に合わないこともあり得るし、そもそもヨガ実践していた人が全員幸せなわけでもない(たぶん)。
ヨガを使っても使わなくても良いから、自分の幸せは自分で考えて行動して掴まなきゃですね。
HIROKI
日頃、一般の方向けに理想の見た目や機能を持った体づくりを指導しつつ、その知識を使って自らのトレーニングをしています。 このブログではヨガを実践する方向けに、体の仕組みに基づいた技術向上の方法、ヨガの哲学に関して、論理的に分析して理解を深めるという内容を発信していきます。 落ち着いたらレッスン情報も! 興味があれば是非読んでみてください。 質問などもあれば、こちらで受け付けています。
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