我思う、故に我あり
木金とお休みだったので、東京→松本の流れで移動して、今上田に戻っています。
だいぶ雪景色もなくなって春な感じですね〜
暖かくなるのはありがたい。
地元が北海道なので寒いのは慣れてるけど、好きではないですからねw
季節は完全に夏が好きです。
さて、この前ベーコンさんの記事を書きましたが、
今日はデカルトさんです。
ベーコンさんと並び称される哲学の父的ポジションで、ヨーロッパの人ですね。
この人、聞く限りではものすごく疑り深い人です。
それどころか何もかも疑いますw
というのも、時代によって・国によって・人によって・場合によって正解って変わるので1つの問いに対する答えが様々になります。
例えば、高度経済成長の時は決められた事を正確に早くこなす事が重要だったけど、
最近は0から何かを産み出す能力の方が重要だったり、
日本では形式的な挨拶が重要だけど、アメリカでは相手の時間を奪わない方が重要とか。
今の時代で考えてもたくさんありますよね。
そういう状況から、デカルトさんは人の感覚ってあてにならない、あやふやな物だと感じたわけですね。
だから全部疑う。
そうやって疑っていくと、あらゆる物が不確かで、話している相手がもしかしたらロボットかもしれないし、もしかしたら3D映像かもしれないし、自分が作り出した幻覚かもしれません。
そうやっていくと1つだけ確かなものがわかって、疑っている自分の意識は存在しているっていう事みたいです。
周りの全てが仮に幻でも自分の意識はここにある。
それが「我思う、故に我あり」という真理に繋がるとか。
だいぶ哲学的な話になってきましたねw
このデカルトさんの発見も確かにすごいんですけど、「だから何?」感が否めないですw
でもこの「疑う」という方法と「結果的に自分はあるという事実」って普段の生活で考えた場合、周りに惑わされずに自分の考えをクリアにする事が出来ると思います。
僕は色んな学びの場に行くと、基本的に疑って聞きます。ヨガの学校でポーズの形や体の意識を習っても、「足はココ」って言われたら「なんでココなんですか?」って聞いたり自分で理由を考えてみます。
理由を聞いたり考えた上で、自分の感覚と照らし合わせて自分がどうしたいかを選ぶ事ができます。
自分の感覚は時に知識より重要だと思います。
何故なら情報や知識は覆る可能性があるからです。
僕は学生の頃は「受験勉強を頑張って大学に入って、なるべく大きな会社に入るのが幸せだ」と聞いた事があったけど、なんとなく嫌な感覚を持ちつつ勉強してました。
今となっては「やりたい事を仕事にして、ビジネスの規模は小さくてOK」という価値観ですが、社会的にもそっちが認められてきています。(多少は)
正解なんてないというか、正解っぽい事も覆るので、「ちゃんと自分で考える」って事が重要なんじゃないですかね。
それすら自由だし、覆るかもしれませんがw
思考停止は危険
情報を鵜呑みにせず、自分で疑い、考え、最終的に自分で決める。
ヨガっぽくないけど、そういうところもヨガかもしれませんね。
HIROKI
日頃、一般の方向けに理想の見た目や機能を持った体づくりを指導しつつ、その知識を使って自らのトレーニングをしています。 このブログではヨガを実践する方向けに、体の仕組みに基づいた技術向上の方法、ヨガの哲学に関して、論理的に分析して理解を深めるという内容を発信していきます。 落ち着いたらレッスン情報も! 興味があれば是非読んでみてください。 質問などもあれば、こちらで受け付けています。
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