誰かのために学ぶのもヨガかも
今日は久しぶりに職場の人と食事へ。
仕事中は聞けない話も聞けて、「こんな事考えてるんだ」とか思える瞬間。
一応管理職なので気を使われない様にこちらからはあまり誘わないようにしてますが、たまには良いですねw
さて、今日もパーソナルトレーニングを何件かさせて頂きましたが、最近は腰痛や膝痛など、体の不調を改善したい方が多くいらっしゃいます。
その分色んな事例を診る事ができるので、どんな症状のときにどうしたらいいのか、やっと分かってきた様に思います(まだまだ最大効率では改善できませんが)。
考えてみたら2年前の時点では、体の不調に対するお手伝いは一切できませんでした。
もう今の仕事を始めて8年くらいになりますが、最初はとりあえず内科的な疾患(糖尿病とか心筋梗塞とかそういう系統)を予防するために痩せられる運動を提供しようとしていて、せっかくなら楽しい方がいいと思って楽しいスタジオレッスンをする技術を磨いていました。
でもスタジオにたくさん出てくれるお客さんから「たくさん動いてるのに痩せない」と相談され、痩せるには食事や筋トレも必要かもしれないと思いました。
そこで食事の案内やトレーニングをおススメしていき、体が変わっていく方が多くなると、「体が痛い」という方が結構出てくる。
それは大変だという事でケアのための手技を勉強。
結構楽になるらしく、安心したのはいいですが、結局は対症療法なので再発は避けられず。「根本的に解決できないと意味ないかも」と思いました。
そこから体の構造、どこの調子が悪いのかを診るチェック方法や、その結果どういう事をすればいいのかという事を学ぶことに。
最初からこういう事がしたかったのではなく、必要に応じて対処していたらいつのまにか今の状態になってましたねw
今通ってる学校の佐藤ゴウ先生は、「解剖学とヨガ哲学の授業は分かれてるけど、ヨガ哲学を学べば解剖学を学ばずにはいられなくなる」と言います。(だいたいそんな感じの表現)
どういう事かと言うと、インストラクターとしてヨガを伝えるときに、相手のことを大切に思うのであれば、体のことを知ることが、安全に効果的なレッスンに繋がるので、必然的に学ぶようになるという事です。
逆に解剖学を単品で学んだ場合、参加者の事が想像できていなかったら、頑張れないかもしれません(僕が見る限りうちの学校に来ている人のほとんどが解剖学嫌いそう)。
何を学ぶにもそうですが、誰のために・何のためにという目的が明確出なければ学びは身になりにくいと思います。
「目的を持って学ぶ」なんか当たり前のような事ですが、「相手への思いやりを持って学ぶ」と言うとなんか新鮮じゃないでしょうか?
自分のためももちろんOKですが!
技術はなんでも、誰かのために存在するので、学ぶ事はヨガなのかもしれませんね。
HIROKI
日頃、一般の方向けに理想の見た目や機能を持った体づくりを指導しつつ、その知識を使って自らのトレーニングをしています。 このブログではヨガを実践する方向けに、体の仕組みに基づいた技術向上の方法、ヨガの哲学に関して、論理的に分析して理解を深めるという内容を発信していきます。 落ち着いたらレッスン情報も! 興味があれば是非読んでみてください。 質問などもあれば、こちらで受け付けています。
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